湯前線は、明治42年11月21日に当時は鹿児島線として開通(八代~人吉間は、明治41年6月1日開通)した人吉駅を分岐として人吉から湯前間24.8キロが、大正13年3月30日に開通した線区であります。
鉄道敷設計画の運動が盛り上がっていた当時は、人吉~多良木間に定期便として客馬車が往来していた時代であり、一部には、軽便鉄道敷設の考えもあったが、将来は妻線(宮崎線・昭和59年12月1日廃線)と結ぶ鉄道路線として計画され、大正10年4月に人吉から起工され、大正13年3月20日に竣工し、同年3月30日から営業が開始されました。
開業時には、途中に肥後西村、一武、免田、多良木の4駅が設けられ、その後、昭和12年4月1日に東人吉駅(現:相良藩願成寺駅)を開業しました。
当、湯前線は、九州山脈をはじめとする山々に囲まれた球磨盆地の中を走る鉄道であり、最盛期には、木材を積載した貨車をつないだ貨物列車が毎日運転されていましたが、外国産木材あるいは新建材の需要に押され貨物列車は廃止され、また、モータリゼーションの発達とともに旅客輸送も減少し、昭和62年2月に第3次特定地方交通線として選定承認されました。
湯前線沿線には、分岐駅である人吉をはじめ、東人吉(現:相良藩願成寺駅)、肥後西村、免田、多良木の各駅の近くに高等学校があり、総輸送量の75%(昭和62年度実績)が通学生輸送という教育的路線であります。
特定地方交通線として選定承認されて以降、湯前線特定地方交通線対策協議会会議をはじめ、地元における検討においては、このように湯前線は教育的使命を有した路線であるので鉄道として存続させることは必要であり、民間的手法を取り入れた会社経営を行うことにより、即ち、利用者のニーズに合った列車ダイヤの設置・車輌の導入及び新駅の設置、積極的な収入確保、経費の節減を図ること等により、鉄道としての運営は可能との結論が出され、昭和63年8月12日の第4回湯前線特定地方交通線対策協議会会議において、第三セクター会社による鉄道運営の方向が決定されました。
平成元年2月27日に開催された第5回湯前線特定地方交通線対策協議会会議において、転換日及び転換交付金の使途等について全員の合意がなされ、平成元年10月1日から引き続き鉄道として、第三セクターによる『くま川鉄道株式会社』が運行を開始しました。

